【おすぎのジレンマ⑯】みんなちがって、みんないい。…って本当!?
「みんなちがって、みんないい。」
素敵な言葉ですよね。まさに多様性を認める言葉。
でも、おすぎはこの言葉がどうしても気になって仕方がないんですね。
この言葉、最近よく聞くなぁと思いながら、少し調べてみるとあの金子みすずさんの詩の中から有名になっているんですね。
◎わたしと小鳥と鈴と◎
「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥はわたしのように、 地面をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」
確かに、おすぎは「みんなちがって、みんないい」を完全否定はしていません。
でも、なぜ素直に受け入れられないのか?
それは、この言葉の受けとられ方が誤解されたり、逆に変に利用されていると思うからなんです。
まさに、多様性を具現化するようなこの詩の一節…もちろん、おすぎは多様性を認め合うことは大切ですし、いわゆる違った人と関係性を構築していくことがこれからの社会に求められていることは重々承知しています。
しかし、どうもこの「多様性」や「みんなちがって、みんないい。」が自分のわがままを貫き通して良いんだ、さまざまなひとがいるんだから、自分は何をやってもいいんだ!そう捉えている人が少なくない気がしているんです。
実は数年前、ワークショップでこんな場面に遭遇したことがありました。
主催をされていたのは、あるプロのファシリテーター!正直おすぎも尊敬をしているし、その方がつくられる場は何度も経験をしています。
その日もとても楽しみに参加をしていました。しかし、そこにものすごい場をかき乱す50代前後のおじさんがいました。
かき乱すといっても、誰かのことを誹謗中傷したり、暴力を振るうわけではありません(笑)まぁ、さすがにそれならばファシリテーターの方がその方を注意したり、時には場からフェードアウトしてもらう権限がファシリテーターの方にはあるわけですからね。それでは、どんな方だったのか!?
一言で言うと、「猛獣」のようなおじさんでした。
とにかく、その場には積極的、そしてとにかく自分が気になることはどんどん質問をしまくる、ある意味最高のアクティブラーナーなのかもしれません。
しかし、残念なことに全く空気が読めない。自分のことを話しまくるし、人の話は聞いていない。だから、実は予定していたワークが半分程度しか進まなかったんですね。
その日の振り返り、「猛獣」は自分のことを散々話したあげく、ご自身の予定があるからと振り返りの途中にお帰りになりました。
そして、そこからその「猛獣」の方を巡って振り返りは白熱をしました。その振り返りでは大きく2つの意見に分かれました。
①「猛獣」のおかげで予定されていたワークが半分程度しか進まなかった。もっと「猛獣」の方をきちんと調教(笑)して、みんなの安全安心を確保しながら、ワークショップを進めても良かったのでは?
②「猛獣」のおかげで実際の社会にいる「猛獣」の扱い方を学ぶ機会になった。みんなが「猛獣使い」になれるきっかけや今まさに白熱した振り返りになっているから、いつも以上にたくさんの学びがあって良かったのでは?
この①②に分かれました。正直、おすぎは①の気持ちが当初は強かったです。むしろ、①しかないくらいでした(笑)実は結構良い値段の費用も支払って楽しみに参加していたワークショップだったからこそ、その①の思いで心の中は占められていました。
ただ、②と思えるようになったのはその振り返りの時間があったからでした。もちろんそこにはそのプロのファシリテーターの方の上手なファシリテーションがあったからかもしれません。しかし、その「猛獣」のおかげで、新たな学びや気づきがあったのも確かでした。
でもあれから数年が経過した現在、また新たなことを考えています。
あの日のことをおすぎは①②両方の学びがあった良い日、しかも結果的には今も記憶に残る学びになっているわけですから、あの日のことを否定するつもりはありませんし、むしろ感謝をしています。
しかし、あの「猛獣」さん自体は一体どうなったのかなぁと。実は、あの「猛獣」さんのその後が気になり偶然にも再会を果たしたのですが、その方は相も変わらず猛獣さんでした(笑)むしろ、猛獣レベルはグレードアップして(笑)
そして、その「猛獣」さんと相対した時、私はおそらく数年前よりは「猛獣使い」としてその「猛獣」とコミュニケーションをはかることができていました。
この時に感じたこと…それは「みんなちがって、みんないい」は確かに一理ある。
しかし、そういうことに気づけるきっかけがないと、その猛獣さんのようになってしまうんだろうなぁと。
だからこそ、私は「多様性」や「みんなちがって、みんないい」という素敵な言葉・概念を決して誤解して解釈しないように、今後も学校現場、そしてワークショップの場で伝えていく必要があるなと思いました。
ぜひ、みなさんにも伺いたいです。
「みんなちがって、みんないい…ですか?」
【おたくのジレンマ⑯】違っていて当たり前、多様性と本音
オーストラリアに在住していると幾つか自然と考える話題があります、例えば国際結婚、VISA、宗教、食、文化、慣習、他言語、自分が日本人でありかつ、外国人であるということなど、日本で日常生活を送っているとあまり直面することのない問題に遭遇します。多様性(ダイバーシティ)を受け入れることは重要であり、この中で何が人と人との深いつながりを生み出しているのか、そこにある潜在的な価値とはなんなのかと考えさせられます。
まとめると多様性を構成する要素は
・人:人種、性別、性格、年齢などの慣習的な要素
・文化:宗教、倫理観、飲食、言語などの形成的な要素
・仕組み:教育、管理方法、規則、能力などの構成・相互作用的な要素
と多く分けると3つに分けられるのではないかと考えられます。
長らく海外で生活するようになってから、多様性とは恋愛に近しいものだなと。「価値観の違い」を受け入れられる心の余裕ができてくると、気づくことがあります。
よく価値観の相違が原因で恋人と別れる原因はとして「価値観の違い」が挙げられます。おそらく、恋人と過ごす中で、その違いを実感した瞬間や「自分とは価値観が合わない」と考える状況(金銭感覚、時間、結婚、優先順位のつけ方、自分の意見への理解など)があり、別れていく人が多いと思います。一つの問題として受け入れる土俵がないからなのかと。だからこそ土俵を作ってあげることがキャリア教育に求められている気がします。(笑)じゃあどうやって育成すれば良いのだろうか。
多様性の本質とは
最近、おすぎは「本音で語りたい」とよく口癖のように言っているのですが、まさにそれが本質だなと性別でも年齢でもなく、対等な立場で話せる関係性を作る。これは「視点」を変えることで、育成できるのではないかと個人的に思います。
それらを身につけるためには、違ったものの見方ができる場を作り、多様な人が集まる環境でいかに自己表現でき、本音で話し合える関係性を構築することが鍵なのかなと考えています。
「違っていて当たり前」を理解するためのM&Msアイスブレイク
これはおすぎと一緒にワークショップを作るようになってから、毎年のように実施しているネタなのですが、オススメです、少し費用はかかりますが、とても盛り上がります。なぜなら高校生はお菓子に目がない(笑)しかもチョコレートを食すと精神的・肉体的にも活動的になるとか。
手順は
「多様な視点」が学習者の中に入ると、A以外に、BやC、その他の視点が出てきます。「いえ」と聞いたので、家を作らなければならないと思っていたが、人によっては英語で表記、字体で表現する。多様な視点、それを受け入れることの重要性を受け入れられる土俵を作っていくのがキャリア教育支援の1つの役割であるのではないでしょうか。
現実に置き換えると問題や短所に目を向けるのではなく、「あの人/あの行為は、私たちにどんな貢献をしてくれているのだろう?」とチャレンジ/ポジティブな課題に設定すれば、視点は変わりますよね。
キャリア教育で必要な多様性とは
個人的には「違っていて当たり前」ということを知る機会を提供してあげるのが一つの鍵なのかと思います。人間は誰しもが親密な関係や自分を必要としてくれる関係性を求める傾向があります。しかし、一方で自身のコミュニケーション方法に悩みを抱えています。関係を構築するにもその取り方ひとつで人を傷をつけてしまう、または自分を否定されたくない、人に嫌われたくないなどネガティブな感情、自分の身を安全な場所に置いておきたいという保護もあります。だからこそ、まずその一歩として、感覚ではなく、実際に受け入れる状況を作ってあげる必要があるのかなと思います。
【おたくのジレンマ⑮】あなたは紳士なファシリテーター?それとも・・・1回限り?
時間を割き、十分な準備をし、期待を望んだワークショップ、参加者の反応もそれなりに良さそう!終わった後は何物にも代えがたい充足感と幸福感に満たされているハズ・・・参加者も同じように感じているはず!
アイスブレイク、メインワーク、振り返りもテンポ良くやれたから今回は良い内容だったで満足している人は多いのではないでしょうか。終わった後にいつも何をするか、そこまでこだわっている方は少ないのではないでしょうか?
きちんとケアしてくれるかどうかで、あなたが紳士なファシリテーターなのか、それまでの一回限りなのかがわかります。
極端な話、いくらメインワークに持ち込む前の雰囲気や場作りに力を入れてもアフターケアが手抜きであれば参加者は興ざめしてしまうことがあります。ワークショップが自体が非常に良かったとしてもその余韻もどこへやら……家に帰るまでが遠足、ではないですが参加者にとってはワークショップの後こそが重要です。
また経験値があるからといって、いつもと同じように対応していて、その後がフォローが雑になっている人はいないでしょうか。知らず知らずのうちに参加者への対応の質が下がっていないかを改めて事後対応について考えてみてはいかがでしょうか。
何度かワークショップに足を運んでいると気分を害されることがあります。本当に小さなことですが、幾つか正直嫌だなと思うことがあります。
・すぐに片付けを始める
極端な話、どんなに良いワーク、ファシリテーションをできたと人もきちんとケアしてくれるかどうかで、この企画への思い入れや参加者への対応などが見えたりします。
終わったらそれで終わり、参加者は疑問や質問があると思うので、丁寧に対応して欲しいと思っているはずです。*もちろん会場の都合もありますが・・・その場合は、片付けながら、フォローしましょう!
・すぐに携帯を見る、電話をする、会場から出てしまう。
一通り終われば、お役御免とばかりに、すぐさま次のことを考えてしまう、目の前の参加者に対応できない、そんなことありませんか?電話やメールなんて、数分遅れても特に影響があるわけではないですよね。目の前の参加者に紳士な振る舞いすれば、違った気づきや学びも得られるはずです。
・名刺交換待ちの体制になる
どうしても名刺交換はしてしまいますし、求められますよね。特に満足感、充足感を得られたワークショップの後は・・・
とはいえ、参加者も帰ったりしなくてはなりませんが、一言、「どうでしたか?」「気になる点はありましたか?」ファシリテーター側から歩み寄ってあげるのも一つの手なのではないでしょうか?
少しでも場で起きたことを共有しようとする姿勢が次につながると思うんです。
じゃあ良いアフターケアとは?
・補足資料を手渡しする
ワークショップの後って”もやもや”しませんか?
そんな人のために、疑問に持ちそうなことをA4資料とかでまとめて「こちら補足資料になりますので、帰り道や寝る前に一読下さい」と伝えてあげれば、学習効果は上がりそうですよね。こんな些細なことが一つあるかないかで本当に違うんです。
もちろん、毎回は難しいですし、その場で渡すのが難しい場合は翌日にメールで送付することをお勧めします。
・懇親会に直接誘う
懇親会に直接誘うことは非常に効果があります。直接誘ってあげることで、参加者も悩んでいた判断が、嬉しくなって、行くことに!少しでも参加してもらえれば、いろんな意見が聞ける時間をいただけますからね。
・直接お礼を伝える/反応を聴きに行く
参加者がファシリテーターや内容を気にするのと同じように、ファシリテーターも参加者の反応が気になります。
そういう時は、ファシリテーター側から「どうだった?」と直接話を伺ったり、初対面の方には、お礼を伝えることで、印象が良くなります。
この件に関してはおすぎがブログで書いているので、以下を拝読ください。
sugitakuworkshop.hatenablog.com
ワークショップ後のアフターケアに触れてみましたが、事前準備も大事ですが、その後の方にどれだけ力や心が込められているかで、参加者満足度などは高まる傾向はあるのではないでしょうか。僕も実際良いフォローを受けた人のイベントには何度かお邪魔させていただいております。そういう人は人間的にも尊敬できる部分もあり、何度参加しても、何かしら大きな学びがあります。
誰もが考えると思いますが、参加していただくからには参加者に心から満足してほしいですよね!中には遠方からはるばる来られる方もいますので、アフターケアは本当に大事だなと思います。理想はアフタフォローなどせず、ワークショップ後、自発的にワーキンググループができるような支援や後押しをワークショップ内でできれば、上記のようなフォローは入らないような気がします。本来目指すべきものはなんなのか、日本人にとって最適なフォローはなんなのかをさらいに追求していきたいと思います。
【おすぎのジレンマ ⑮】 本番よりも終わった後が肝心よ❤
意味深なタイトルですよねぇ(笑)
ってか、完全に狙っています。
まぁ、ジレンマもたまにはこういう回があっても良いですよね!?
って、もちろん本番ということはあの話ですよ❤
そして、本番よりも終わった後が肝心って…そう!ワークショップのことですよね!!
むしろ、何でもそうだと言えますが、たとえばおすぎの立場でいえば、部活の公式戦などは本番でどう戦ったかということももちろん大切ですが、なぜ勝利したのか、逆になぜ負けたのかをきちんと分析することが大切なはずです。
しかし、意外と終わった後、つまり“アフターフォロー”ってしているようでしていないってことありませんか?
実はアフターフォローに導くための魔法の言葉があります!その一言とは…
「どうだった?」
です(笑)
たとえば、
・部活の試合後、「どうだった?」と聞いてみる。
・定期試験後、「どうだった?」と聞いてみる。
・映画鑑賞後、「どうだった?」と聞いてみる。
・ワークショップ後、「どうだった?」と聞いてみる。
どんなことにも言えるのですが、終わった後に「どうだった?」と聞いてみるだけで、本番で自分自身が何を得て、何ができなかったかを考えることができると同時に、アフターフォローも的確にできるようになります。
ワークショップにおいては、おそらく“チェックアウト”や“リフレクションシート”などが「どうだった?」に該当するかもしれません。もちろん、ワークショップ後に、講師が直接参加者に「どうだった?」と聞いてもよいですし、ワークショップ後に懇親会などが設定されている場合には、一番本音が聞きやすいかもしれませんね。
ただし!!
「どうだった?」だけでは、アフターフォローにはなりません。
「どうだった?」はあくまで、どうアフターフォローをすれば良いかの材料を見つけるだけにすぎません。
たとえば、映画にたとえてみましょう。デートで彼女と映画を観に行く。
そして、映画鑑賞後、魔法の言葉発動!!
彼氏「どうだった?」
彼女「もう少し落ち着いた映画だと思ったんだけれど…」
さて、この言葉を聞いて、ここからがアフターフォローです。さて、もしまた映画を一緒に観に行く時、あなたがその彼氏ならどうする!?
A:もう少し落ち着いた映画をピックアップする
B:彼女に見に行きたい映画を決めてもらう
C:もっと「どうだった?」を活用して、さらに彼女のニーズをさぐる
D:もっと激しい映画をピックアップする
さて、どうしますか?って、D以外はきっと正解…否、もしかしたらDでも彼女の新しい世界が開けるかもしれませんが、Dにいくには相当のアフターフォローが必要かもしれません。
そのようなわけで、ワークショップにおいてもワークショップ本番後のアフターフォローをどうするかが肝心だと思います。
いや、僕は講師として呼ばれて、この本番だけやれば良い!あとは、参加者にお任せよ。そのスタンスも決して否定はしません。
ただ、きっと素敵なワークショップを創り上げる方々は、その後直接的に関わらなくともアフターフォローを促すような雰囲気や場を生み出しているような気がします。
ワークショップ本番後を、参加者にゆだねる、ワークショップの場で学んだことをその後実生活にどう活かすかは参加者ひとりひとりの責任…もちろんそういう見方もあるかと思いますが、ワークショップをイベントで終わらせないためにも、アフターフォローまで考えたワークショップの設計をしてゆきたいなと思います。
さて、みなさん、ワークショップへのジレンマもこれで第15回をつれづれなるままに書き連ねてきましたが…
「ワークショップへのジレンマ、どうだった?」
ぜひ、忌憚ないご意見をお聞かせください(笑)
よろしくお願いいたします。
【おたくのジレンマ ⑭】 グループワークは空気の読み合い?
「空気を読む」という言葉は日本人のコミュニケーションスキルには、外せないですし、世の中から求められています。そのため、このスキルを見極めるため、育むためにワークショップ中に「グループワーク」「グループディスカッション」を導入されている企業や学校は多いですが、時折疑問を抱きます。これは本当に良いのかと?ただ主体的に楽しめるから導入しているだけ?協調性が身につきやすい?
グループワーク、非常に魅力的なものです、何をやっていても、ある程度は楽しいです。その場にいる人が主観的に判断し、「俺がリーダーシップを取ろう」「私は聞き手に回ろう」「僕は書記に回ろう」と空気を読んで役割分担が決められます。
たまに違和感を感じます、グループワークというよりKYG(「空気読み取り合戦」)だなぁと。
KYGが続くと、グループワークの終わりには「あの人は何を考えていたのだろうか」「もっと意見をいえばよかった」とか反省しがちになってしまい、本来の自分を出せなかったと悔しい思いをします。
その根幹にあるものは、「Aさんのことをもっと知りたい」「他者と信頼関係を築きたい」という信頼関係構築なのではないでしょうか。
空気を読むことは確かに素晴らしいスキルですが、一方で本来、求められているのは「空気を読まない」人だと個人的に思います。「空気を読まない人」って異質ですけど、飲み会に参加していてもいなくても、話題になります。
それはみんなが嫉妬しているからです。
嫉妬できる理由は、何を考えているかわかるし、何をやっているかが可視化されているからです。嫉妬されることって実は社会で求めれるているのではないでしょうか?
良い言葉で言えば、愛されキャラですよね。そういう人って、なんでも本音で話せる雰囲気が漂っていて、憧れの的だったりします。
日本ではお互いを尊重するために「上下関係」「年功序列」を大事にしすぎている傾向があります。
年齢が低い場合、新しいアイデアが出ても、立場を考えて、何も伝えない、今は我慢など、自分の心を抑えてしまいます。
一方で年齢が高い人は立場を利用して、パワーマネジメントする人もいます。そういう人は何かに嫉妬している、自分より優れている人がいると困ると本当は思っているのではないでしょうか。
「空気を読む・読めと」思う人は、争いをしたくない、自分の立場を優位にしたい、相手に優位に立たれたくないからです。
どちらの立場も共通するのは「自分にとって〇〇はよくない」があるからなのではないでしょうか。一見、空気を読んで尊重しているように見えますが、そうではない気がします。「互いを尊重する」とても素敵な言葉です。でもこの言葉、「逃げているだけ」にも見えませんか?もちろん逃げることも時には大事です。(笑)
理想をいえば、どんな立場・年齢でも本音で物事を伝え合い、判断し、意見を纏め、互いに補完し合える関係でグループワークを進めていくことが良質なアウトプットにつながるのではないでしょうか。
ではどうすれば「本音」で話せるグループワークができるのか?今は一般的になっていますが、一つの手段として考えられるアイデアは日本人向けにグラウンドルールを構築することです。
その中の一つに「安心・安全の場」というルールを除外するという策があります。
個人的に、このルールがあることで、本来求めているグループワークで期待する効果は得られないと考えています。
人間は他者から承認や信頼を得たいと無意識の中で求めています。
それらを得た時、人は大概、「本音で話してくれた」「率直に意見を聞けてよかった」という感覚や感情を持ちます。一言で言えば「何を考えているかわかった」という状態です。この心境は振り返りの質を高めるのではないかと個人的には感じでいます。その心境であれば、他者を受け入れ、尊重し、自分を出せた状態でワークショップを終えられるのかと思います。
「争いごとをしたくない、争わないでほしい」、その気持ちわかりますし、ワークショップの企画者自身の優しさは勿論大事されるべきです。しかし本当にその場で求められているのは何か?それは「安心・安全な場」なのか?「本音」で話すことができる場なのか?
その場にいる全ての人が満足して終えられる場ができるよう改めてワークショップ1つ1つの要素を考えて見るのは良いのではないでしょうか。