test

ワークショップへのジレンマ

おたくとおすぎが杉並区にある私立高校で実践して得た知識・知恵を書いています。

【おたくのジレンマ ⑭】 グループワークは空気の読み合い?

「空気を読む」という言葉は日本人のコミュニケーションスキルには、外せないですし、世の中から求められています。そのため、このスキルを見極めるため、育むためにワークショップ中に「グループワーク」「グループディスカッション」を導入されている企業や学校は多いですが、時折疑問を抱きます。これは本当に良いのかと?ただ主体的に楽しめるから導入しているだけ?協調性が身につきやすい?

 

グループワーク、非常に魅力的なものです、何をやっていても、ある程度は楽しいです。その場にいる人が主観的に判断し、「俺がリーダーシップを取ろう」「私は聞き手に回ろう」「僕は書記に回ろう」と空気を読んで役割分担が決められます。

 

たまに違和感を感じます、グループワークというよりKYG(「空気読み取り合戦」)だなぁと。

 

KYGが続くと、グループワークの終わりには「あの人は何を考えていたのだろうか」「もっと意見をいえばよかった」とか反省しがちになってしまい、本来の自分を出せなかったと悔しい思いをします。
その根幹にあるものは、「Aさんのことをもっと知りたい」「他者と信頼関係を築きたい」という信頼関係構築なのではないでしょうか。

 

空気を読むことは確かに素晴らしいスキルですが、一方で本来、求められているのは「空気を読まない」人だと個人的に思います。「空気を読まない人」って異質ですけど、飲み会に参加していてもいなくても、話題になります。

それはみんなが嫉妬しているからです。

 

嫉妬できる理由は、何を考えているかわかるし、何をやっているかが可視化されているからです。嫉妬されることって実は社会で求めれるているのではないでしょうか?

良い言葉で言えば、愛されキャラですよね。そういう人って、なんでも本音で話せる雰囲気が漂っていて、憧れの的だったりします。

 

日本ではお互いを尊重するために「上下関係」「年功序列」を大事にしすぎている傾向があります。

年齢が低い場合、新しいアイデアが出ても、立場を考えて、何も伝えない、今は我慢など、自分の心を抑えてしまいます。

 

一方で年齢が高い人は立場を利用して、パワーマネジメントする人もいます。そういう人は何かに嫉妬している、自分より優れている人がいると困ると本当は思っているのではないでしょうか。

 

「空気を読む・読めと」思う人は、争いをしたくない、自分の立場を優位にしたい、相手に優位に立たれたくないからです。

どちらの立場も共通するのは「自分にとって〇〇はよくない」があるからなのではないでしょうか。一見、空気を読んで尊重しているように見えますが、そうではない気がします。「互いを尊重する」とても素敵な言葉です。でもこの言葉、「逃げているだけ」にも見えませんか?もちろん逃げることも時には大事です。(笑)

 

理想をいえば、どんな立場・年齢でも本音で物事を伝え合い、判断し、意見を纏め、互いに補完し合える関係でグループワークを進めていくことが良質なアウトプットにつながるのではないでしょうか。

 

ではどうすれば「本音」で話せるグループワークができるのか?今は一般的になっていますが、一つの手段として考えられるアイデアは日本人向けにグラウンドルールを構築することです。

 

その中の一つに「安心・安全の場」というルールを除外するという策があります。

個人的に、このルールがあることで、本来求めているグループワークで期待する効果は得られないと考えています。

 

人間は他者から承認や信頼を得たいと無意識の中で求めています。

それらを得た時、人は大概、「本音で話してくれた」「率直に意見を聞けてよかった」という感覚や感情を持ちます。一言で言えば「何を考えているかわかった」という状態です。この心境は振り返りの質を高めるのではないかと個人的には感じでいます。その心境であれば、他者を受け入れ、尊重し、自分を出せた状態でワークショップを終えられるのかと思います。

 

「争いごとをしたくない、争わないでほしい」、その気持ちわかりますし、ワークショップの企画者自身の優しさは勿論大事されるべきです。しかし本当にその場で求められているのは何か?それは「安心・安全な場」なのか?「本音」で話すことができる場なのか?

 

その場にいる全ての人が満足して終えられる場ができるよう改めてワークショップ1つ1つの要素を考えて見るのは良いのではないでしょうか。