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ワークショップへのジレンマ

おたくとおすぎが杉並区にある私立高校で実践して得た知識・知恵を書いています。

【おすぎのジレンマ㉕】ワークショップ以外の可能性…!?

さて、ここまで25回、「ワークショップへのジレンマ」ということでおたくとふたり、1ヶ月に2回のペースでつれづれなるままにおもいを綴ってきました。

 

そろそろどこかでこれまでの振り返りをしなくてはいけないかとは思いますが、その前にワークショップ以外の可能性を考えてみたいと思います。

 

改めてワークショップとは…!?

 

ワークショップ

英語では、仕事場、作業場、の意味。講師の話を参加者が一方的に聞くのではなく、参加者自身が討論に加わったり、体を使って体験したりするなど、参加体験型、双方向性のグループ学習。受け身型学習からの転換・脱皮として、日本でも1980年代後半以降、演劇、ダンス、美術などの芸術分野で盛んに行われるようになった。例えば、劇団青年団を主宰する劇作家で演出家の平田オリザは90年代以降、日本各地で、彼自身の演技メソッドを体験型で教えるワークショップを数多く行ってきた。ワークショップは、芸術分野以外にも、学校教育、企業研修、住民参加の街づくりなど、多彩な領域で行われている。
(扇田昭彦 演劇評論家 / 2007年)
ワークショップ
仕事場や研究集会といった意味から、美術や演劇などで表現者や鑑賞者といった従来の枠組みを超えた参加者全員による共同作業を指すようになった。日本の美術館では1970年代後半から、アーティストや学芸員(キュレーター)と一緒に子供たちが創作を体験する試みとして広がった。90年代に、美術館の教育普及活動の一環として盛んになり、さらに2002年度に実施された小中学校の「総合学習」(総合的な学習の時間)により、「図画工作」の時間数が切りつめられた代わりとして、積極的に地域の美術館で採用されつつある。「絵画教室」といった創作体験だけでなく、子供たちに展覧会を企画させるなど様々な試みが広がっている。しかし現状では、欧米のように普及学芸員やエデュケーターと呼ばれる専門学芸員を置く美術館は多くない。今後、美術館の地域社会への積極的なサービスの一環として発展させるためにも、十分な環境整備が求められている。
(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

(引用:ワークショップとは - コトバンク

 

さぁ、このようなワークショップですがもちろん万能なものではありません。

ここまでもジレンマとして綴ってきましたが、あくまでワークショップでの学びは日常生活に活かされることが大事で、ワークショップに参加することが目的になってはいけないなんていうことも綴ってきました。

では、そのような中ワークショップ以外の可能性を考えてみることにしましょう…。

 

と、いっても実はおすぎにはその答えが出ています。これはこの「ワークショップへのジレンマ」を綴る前から出ていたものでした。

では、そのおすぎの答えはいかなるものなのか!?

それは、「自然発生的な場での学び」&「教育機関の生まれ変わり」というものです。

ワークショップやセミナーなどはいわゆる人工的な学びの場、交流の場なのです。

そこで、自然発生的な場での学びが生まれるような伝統・文化を醸成することが必要かと思います。

そして、何よりその伝統・文化を醸成するために抜本的に「教育機関の生まれ変わり」が必要不可欠だと考えます。

 

つまり、ワークショップ以外の可能性とは、ワークショップのような人工的な場以外の自然発生的な学びの場を生み出す教育が必要不可欠なのだと思います。

そのために、今はワークショップやセミナーなどの人工的な場が機能しつつ、自然発生的な場が生まれ、そして教育機関が生まれ変わり、自然発生的な場が機能するようになるサイクルが生まれることが望ましいのだと。

 

ワークショップ以外の可能性を考えるためにも、ワークショップが機能することは前提になりつつも、両輪としてワークショップ以外の場を機能させていく、そしてその根本に教育の復権!があるとおすぎは一高校教員として考えています。

 

きっとおすぎはワークショップへのジレンマというよりも教育へのジレンマをワークショップを通じて綴ってきたのかなぁとここまで振り返って考えています。

 

さて、みなさんはいかがでしょうか?ワークショップ以外の可能性…どんな可能性がありますか?