【おたくのジレンマ⑨:2つのPDCA活用して振り返りを最大化?】

「振り返り」と聞くとどんなことを想像されますでしょうか。

おそらく多くの人はPDCA(Plan Do Check Action)サイクルを回すこと、ビジネスの場面ではKPT(Keep、Problem、Try)、G(Goal)-PDCAサイクルと言う言葉を想像するのではないでしょうか。

 

ワークショップでは上記のようなフレームワークではなく、コレブの経験学習モデルをベースに設計されています。

 

ただ最近思うのですが、ワークショップの振り返りの効果は最大化されているのか。もちろん、学びを紙に書き起こしたり、口頭でグループでシェアすることで新しい気づきはあります。

しかし、これはその場限りの気づきなのでは?それを現実に活かせているのか?その先に何か変化が起きているのか、というのを考えるとそれは劇的に変化しているとは考えにくいものです。

 

大規模なイベントや宿泊型の勉強会では、後にfacebookで繋がりグループ内で近況を報告、行動宣言などで、互いにフォローアップしていますが、それもなんか違うなと思ったりしています。

 

じゃあどうすれば良いの?ということですが。個人的に意識していることはPDCAサイクルを二つのパターンに分けた方が良いのではないかと考えています。PDCAというものを大きく変えるのではく、

 

1.「他者に設定されたPDCA」と2.「自分で設定するPDCA」を作ることが今後のワークショップでは重要なのではないでしょうか。

 

ワークショップで行う振り返りは1にあたるため、自分で振り返りたいこと、自分では振り返れないことが設定されいるので、新しい刺激、アイデア、思想、考え方を得られることにメリットがあります。一方でその場限りとなってしまい、その後に何もやらず、具体的な成果が目に見えにくいというデメリットがあります。

 

振り返りを最大化するという点では1、2のサイクルを回すことが非常に重要になってくるのではないでしょうか。上記には自分で設定するPDCAと書きましたが、このサイクルは自分で設定するため、Plan Do Cheak Learning Action(PDCLA)という流れになるのではないでしょうか。

Learningを挟むことで、Actionの質が上がるではないかと思います。おそらく、今まで、PDCAを実践し続けた方、提唱してい方は学習の時間を設けています。
どうしても勉強、読書というのは面倒になり、避けがちですが、情報量が多くなり、テクノロジー、AIの登場により、なくなる仕事も幾つかあります。そこで必要になるのが独学術、良質な習慣を作る力です。それらは全て、自ら設定するサイクルになります。

 

ワークショップデザイナーもただ振り返りを設定するのでなく参加者に個人学習を意識させるような手引きは意識した方が良いかもしれません。

勉強会後やワークショップ後に「こういうの勉強しよう」「このスキルが欲しい」という欲が少なからず出ると思います。その欲を自ら学習に落とし込むことで、ワークショップの振り返りを最大化できるのではないでしょうか。

【おすぎのジレンマ⑨振り返り病…振り返れば奴がいる!?】

PDCAサイクルって、みなさんご存知ですか?

そんなの当たり前だよ!って仰る方もたくさんいるかとは思いますが、まずは前提共有をさせてください。

 

PDCAサイクルPDCA cycle、plan-do-check-act cycle)は、事業活動における生産管理品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する。

第二次世界大戦後、品質管理を構築したウォルター・シューハートエドワーズ・デミングらが提唱した。したがって、シューハート・サイクル (Shewhart Cycle) またはデミング・ホイール (Deming Wheel) とも呼ばれる。

PDCAサイクルという名称は、サイクルを構成する次の4段階の頭文字をつなげたものである。

  1. Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
  2. Do(実行):計画に沿って業務を行う。
  3. Check(評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを評価する。
  4. Act(改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて改善をする。

この4段階を順次行って1周したら、最後のActを次のPDCAサイクルにつなげ、螺旋を描くように1周ごとに各段階のレベルを向上(スパイラルアップ、spiral up)させて、継続的に業務を改善する。

 

また、最近ではPDCAサイクルよりもOODAループも注目されています。

 

OODAループは、朝鮮戦争航空戦についての洞察を基盤にして、指揮官のあるべき意思決定プロセスを分かりやすく理論化したものである。すなわち、監視(Observe)- 情勢判断(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)のサイクルを繰り返すことによって、健全な意思決定を実現するというものであり、理論の名称は、これらの頭文字から命名されている。

 

さて、OODAサイクルにはありませんが、いわゆる「アクティブ(・)ラーニング」や昨今の学校改革、授業改革の流れで、学校現場に“振り返りブーム”が押し寄せています。もちろん、ワークショップにおいても振り返りの時間やリフレクションシートの活用などがされていることがあるかと思いますが、私自身物事を振り返ることはとても大切なことだと思います。

特に学校現場においてはPDCAにたとえるならば、PDサイクル、下手をしたらDoDoサイクルのような状況で、疲弊している学校も少なくありません。そのような状況下で、きちんとこれまでの計画と実行を評価(振り返り)し、改善していくことはまさに必要不可欠なことでしょう。

そして、ワークショップにおいてもその日の学びを振り返り、次につなげることは大切な学びのプロセスであると感じています。

しかし、私は学校現場及びワークショップどちらも身を置く立場として、振り返り病に冒されている人も少なからずいるのではないかと警鐘を鳴らしておきます!

実は、学校現場ではとにかく「グループワーク」、とにかく「振り返り」という場面が最近目立ちます。しかし、それまでの学習内容についての振り返りのはずが、振り返りのための振り返りになっている、つまり目的と手段が混同している場合があるのではないかなと。

また、とにかく一にも二にも振り返り…授業、行事、ことあるごとに振り返りをやらされる生徒からは「もう振り返ることなんてないよ…」「先生、振り返りがメインですか?」なんていう声が聞こえてくることもあります。

そして、それはワークショップにおいても起こることではないでしょうか?

振り返りの時間をワークショップ中に確保することは決してマストのことではありません。振り返りは帰りの電車の中であって、できることだと思います。

確かに全く振り返りもなく、ただただ内容を詰め込まれてしまってはそれも学びにはつながりにくいかもしれませんが、とにかく振り返りというのは、ワークショップの目的からズレているかもしれません。

 

そのようなことから、適切な振り返りのタイミング、時間、そして何より何のための振り返りなのかをきちんと設計して、ワークショップ内に組み込んでいくことが大事なんだと思います。

そして、それはワークショップだけではなく、日常生活においてもいかに自然と上手に振り返りをしていき、PDCAサイクルやODDAループを自分の身体に染み込ませることが何よりなんだと考えています。

 

さて、みなさんは振り返り病にかかっていませんか?

そして、振り返れば…誰がいてそこには何があるんでしょうかね?

【おたくのジレンマ⑧:ギブスのリフレクティブサイクルでジレンマを振り返る】

僕らがこのブログを初めて約3ヶ月ほど経ちましたので、このブロクを振り返ってみます。今回は1998年にGibbs(ギブス)に提唱されたGibbs' Reflective Cycle(リフレクティブサイクル)を用いて振り返りを行っていきたいと思います。

 

このサイクルはの6つのステージによって構成されています。

1:記述:Description: what happened

2:感覚:Feelings: what were you thinking about?

3:査定:Evaluation: what was good or bad about the experience?

4:分析:Analysis: what sense can you make of the situation?

5:結果:Conclusion: what else could you have done?

6:行動計画:Action Plan: what will you do next time?

*Assessment(評価)とEvaluation(査定)の違い
Assessmaent:人や状況に対して判断(評価)を下す過程で、あるものの価値(value)を測定する、評価する行動
Evaluation:誰か・何かに対して考え、判断を下す行動

1:Description : what happened

今までみたいにワークショップを毎週実施、観察等をしているのわけではないので、実践については述べることはできませんが、既存のワークショップを疑うことで、斬新なアイデアの発想や新しい疑問が出たことで学び直したい部門や新たに取得したい専門的な知識を得ようと気持ちがより強まった。

 

2:Feelings : what were you thinking about?

ワークショップへの可能性をさらに感じることができたことが率直な感想です。日々経験を重ねてきたことを自分の言葉でアウトプットする機会を持ったことで、何を自分が伝えたいのか、何を大事にしなくてはならないのか、このワークの本質は何を学習者に示すのかなど、進化の可能性を目にしました。

 

3:Evaluation : what was good or bad about the experience?

良い経験としては、自分の経験、ワークショップへの考えを発信できたこと。一方で、よくない点としては自分の知識不足が多々あり、中途半端な情報を学習者に伝えていたことがわかり、学習意欲の向上に繋がっています。

 

4:Analytics : what sense can you make of the situation?

実践の場から1年以上離れているので、理論と実践を比較することは難しいですが、知人からこのブログのレビューをいただいた時に、「うなづくように読んでしまう」「その着目点は共感できる」など幾つか実践者から共感できるポイントをいただいたので、自分が考えていることはあながち間違っていないのだという自信を得ることができましたし、これを伝える対象によって、わかりやすく丁寧な言葉で表現できるような表現者を目指したいと考えています。

 

5:Conclusion : what else could you have done?

将来の目標を考えた場合、この時点で学びを復習したことで、必要なスキル・知識・向き不向きを整理することができた。その他に、実践で試したいアイデア、今はあるものに何を加えれば良いものができるのかなど、具体的な改善案が自分の頭の中のアイデアポケットに幾つか保存することができた。まだ若いので、このブログを通じて、ひとつひとつ精進していければと思います。


6:Action Plan : what will you do next time?

もし同じような状況が起きた場合には質の高い内容を発信できればと思いますが、まだこのブログは始まったばかりなので、まずはこのブログを1年間続けることが1つの目標です。この先は、そして何がワークショップ実践者に必要なのかを考えること、学校でワークショップを実践したいと思っている方の役に立つような記事を書いていければ、おのずとこのブログの読者も増えるのではないかと思います。その他には、おすぎとも話しましたが、書籍化は1つのゴールなのではないでしょうか。

今回はこのブログ、「ワークショップへのジレンマ」に対する振り返りを「ギブスのリフレクティブサイクルモデル」を用いてさせていただきました。ワークショップには様々な思想・文化・解釈があるので、これが正しいというものは正直現段階ではないです。こうすればもっと良くなる、素敵な学びができるのではないかというのを今後も発信し、おすぎと一緒に発信できればと思います。

 

 

【おすぎのジレンマ⑧ここまでのジレンマを振り返る~そもそも論~】

ワークショップへのジレンマを振り返るまえに、そもそも「ジレンマ」ってなんぞや?ってことを共有しないといけないですよね。

 

大辞林(第三版)』によれば…

ジレンマ【dilemma】〔ディレンマとも〕

自分の思い通りにしたい二つの事柄のうち、一方を思い通りにすると他の一方が必然的に不都合な結果になるという苦しい立場。板ばさみ。 「生活と研究の-に苦しむ」 「 -に陥る」
〘論〙 三段論法の一。二つの仮言的判断からなる大前提と、その判断を選言的に肯定もしくは否定する小前提から、結論を導き出すもの。例えば、「前に進めば虎と出会い、後ろに退けば狼と出会う」「前に進むか後ろに退くかしかない」「したがって虎と出会うか狼と出会うかであり、いずれにしても困った結果となる」の類。両刀論法。
 
だそうです(笑)
そんなわけで、ここまでのワークショップへのジレンマを振り返ってみると…正確にはジレンマというよりも、ワークショップへの思い、またワークショップでいわゆる常識となっていることへの問題提起だったような気がしています(笑)
 
ただ、言えることはワークショップという非日常の場面でできることが、ワークショップを終えて、翌日職場や学校ではできなくなってしまう、ワークショップのその場だけで満足してしまい、実生活に活かせていない、そういうジレンマからここまでワークショップへのジレンマを吐露してきました。
 
おそらく、そんなジレンマが出てきてしまう原因としては、ワークショップ自体をより良い場にしようとすればするほど、実生活と乖離していく…そんなことが起きているのではないでしょうか。
そうすると、今度は「ワークショップ」ってなんぞや?を共有しておかないといけないですよね。
 
『世界大百科事典』によれば・・・

ワークショップ(workshop)

もともと〈仕事場〉や〈作業場〉を意味する言葉だが,アメリカでは一般に,専門的な技術やアイデアを試験的に実施しながら検討を行う研究会やセミナーを指す言葉としても使われていた。ところがアメリカの演劇の世界では,1960年代ごろから新しい形態の演劇を創造する母体 としてのワークショップに大いに関心が持たれるようになり,そういったアメリカでの試みが注目をあびて,演劇の世界では広く世界的にこの呼名が使われるようになった。

 

だそうです(笑)

もちろん、ワークショップには色々な解釈がありますが、仕事場や作業場であればその場かぎりでも良いかもしれません。ただ、セミナーという面でいえば、やはり実生活に活かせるような学びの場でないといけないとも。

ここまでまとめてみると、きっと「ワークショップ」自体がさまざまな解釈があるため、人によってその捉え方も十人十色でそれによってジレンマが起きているかもしれないなぁと感じました。

では、ワークショップの定義をきちんと確立したほうが良い!?

そうとは思いません。きっと、これだけさまざまな人がさまざまな捉え方ができるワークショップというものだからこそ、無限大の可能性があるんだと思います。

そして、ワークショップへのジレンマ自体が、学びにもつながります。

つまり、ワークショップというのはジレンマが起きて当たり前!だからこそ、そのジレンマをどう素敵な学ぶにつなげ、できることなら実生活に活かしていくのか。

そうなのかなぁと思います。ただ、これもまたすぐに変わるかもしれません(笑)

だって、それがワークショップであり、ジレンマだと思いますから。

【おすぎのジレンマ⑦自己紹介って“絶対”にやらなくてはいけないですか?】

自己紹介、人生を歩めば歩むほど、どこでもどんな時でもやりますよね。

私は小・中・高時代の自己紹介が本当に大嫌いでした。

はじめてのクラス、はじめての授業、先生は「自己紹介をやりましょう」といって、そのままの机と椅子の配置のまま、列ごとに先生のほうを向いて名前と一言…

一体、誰に向かって自己紹介しているんだ!って、今ならその先生たちを糾弾したくなる気持ちでいっぱいです(笑)

 

さすがに大学に入り、顔を見合わせた状況での自己紹介が増えると、まだマシになってきましたが、それでもどうも自己紹介がいまだに好きにはなれないおすぎです。

また、ワークショップでは呼ばれたい名前でいることも多いですが、なぜか本名を言わないと変な空気になることも。私はよく呼ばれたい名前を「山田」(特に意味はないですが)にすることが多いですが、知っている人がいると、「なぜ山田なんですが、おすぎさん?」と言われる始末…おい!それでは呼ばれたい名前を使っている意味が無いじゃないかと突っ込みたくなる気持ちで一杯になります。

 

さて、そんな自己紹介って、ワークショップの場はもちろん、はじめての場などで“絶対”にやらなくてはいけないものなのか?改めて考えてみたいと思います。

 

私はただやらされるだけ、気づきも学びもない自己紹介であれば、やる必要がないと思っています。しかも、極度の緊張状況で自己紹介したところで、自分のことが伝わることもないし、それこそ他の方の自己紹介が頭に入ってこない(笑)

ただ、自己紹介ってやりたがりますよね。もちろん、最低限の安全・安心の場の確保という意味では、一緒に場をつくるメンバーのことを少しでも知る必要があると思います。ただ、それはそのメンバー自身が必要と思えば、相手を知り、自分を知ってもらえば良いのかなと。

特にワークショップにおいては、自発的に参加している方々が多いはずですから、むしろ自発的な自己紹介を促す空気さえあれば十分!

確かに学校現場では、自己紹介に対して自発的ではない生徒も少なくはないので、「自己紹介」というプログラムを設定する必要があるとは思いますが、逆に設定するのであれば机と椅子がそのままで誰に向かって自己紹介しているのかよくわからない無意味どころかマイナスにも働く自己紹介の場は即刻無くしてほしいと考えます。

普通に机を取り払って円にして、みんなの顔が見える形での自己紹介や4~6人程度のグループをつくり、そちらでの自己紹介など、少しでも工夫すれば意味のある自己紹介になります。

 

でも、ここまでつれづれなるままに書き連ねてきて、おすぎが感じることは、

「自己紹介が自然発生的に起きる雰囲気」

これが、日本社会には足りていないのかなぁと思います。

ワークショップが始まったら、オンのスイッチが入り頑張りますが、ワークショップがはじまる10分前の変な空気間…これって学校や職場でもふつうにありますよね。

なんか、声かけにくい雰囲気、そして声をかけさせない姿勢。

日本人って、私も含めて良くも悪くもシャイなんですよね。だからこそ、これからの日本の未来を見据えて、

「自己紹介が自然発生的に起きる雰囲気」

を文化として醸成させていけたらなぁと考えています。

そしたら、きっと自己紹介で嫌な思いをする人はいなくなるでしょうし、必要と思えば自己紹介をするし、そうでなければしない、自由な自己紹介が当たり前になってくると思います。

自己紹介…あなたはどんな自己を紹介しますか?

【おたくのジレンマ⑦ワークショップで自己紹介はする必要があるんですか?】

「グループで自己紹介をしましょう」....どんなワークショップに参加しても、ファシリテーター、参加者間での自己紹介をする機会はあります。自己紹介を行わないと相手との距離を縮めにくいというのは事実ですが...ただふとたまに考える時があります、「なぜ見も知らぬ人に自己紹介をしなくてはいけないのか」「ファシリテーターの自己紹介が長すぎて経歴自慢かよ」「知り合いに対して改め自己紹介しなくてはならないのか」という幾つか疑問やストレスを抱えます。

 

例えば

自己紹介の際に情報が少なすぎるケース、

  

  「名前と所属名/会社名だけを言う」

   例:「◯◯株式会社のおたくです」

 

少ない情報を伝えるだけであれば、聞き手は話し手の魅力を探すためにいろいろと聞き出さなくてはなりません。これって以外とストレスで、少ない情報であれば、自己紹介する必要があるのかなと考えしまいます。勉強会のスタイルによっては隣の席の人の名前を知らずに帰ることもありますが、満足して終えることもあります。

 

またその逆で多すぎたり、自己紹介が自己PRとなったり、長すぎたりすると、その人への印象がマイナスとなり、その先のワークへ憂鬱さを覚え、自己紹介が事故紹介となり、損した気分となります。

 

自己紹介のどの場面が適切なのか。 

どの場面で自己紹介をすれば、心地よくなるのか。最初に自己紹介をすることが適切なのかと考えてみるとそうではないかと思ってしまいます。理由はシンプルで他者の情報を知らなくても、なんだかんだアイスブレイク、ワークはできてしまいます。


終わった後は、この人、賢いな、面白いアイデア出すなとか、他者に興味を持つことが多いので、幾つか気になることが他者に抱くので、質問したくなるので、必ずしも最初に持ってくる必要はないのでしょうか。


個人的に試したいワークとしては自己紹介をワークの最後また休憩前後に持ってくることです。通常、自己紹介はメインワークの前やアイスブレイクで行うのはスタンダードであるものの、振り返りや休憩前後に持ってこれば、違う効果があるのではないかと最近考えています。何かを一緒に成し遂げた後に自己紹介をすることで、その他者への興味関心が上がるのではないかと考えています。そうすることで、このような結果が生まれるのではないでしょうか。

 
 ・名前を一度で覚えられる人の増加

 ・思い出・記憶の定着:何かをその人と一緒にしたか

 ・ポジティブな印象

 ・キャラクターの把握・理解

 ・その人への興味関心の上がる

 ・また会いたいという気持ちの醸成

 

幾つかポジティブな効果が出る可能性を想定できますが、一方で名前を知らないとワークを進行できない、名前を覚えることが先決と考えている人もいるので注意が必要です。

 

また他のアイデアとして、グラウンドルールで「名前や所属を明かさない」というものを作り、ワークを進めながら、グループのメンバーの名前をしれたり、するようなステップを作っても面白いのではないかと思います。

 

自己紹介は互いを知る上で非常に重要な役割となりますが、

 ・従来の名前を知る→お互いの特徴や性格を理解する

から、

 ・お互いの特徴や性格を理解し→名前を知る

 

 という流れを作っても良いのではないかと思ったりしました。

 

どうしても自己紹介はワークの事前にきますが、それは伝統・文化的な背景があるからだと思います。当たり前に少し変化を加えることができれば、ワークショップの運営、満足度、効果も変わってくるのではないでしょうか。

 

【おすぎのジレンマ⑥備品やグッズは誰のためのもの?】

プロジェクターにホワイトボード、名札にトーキングオブジェクトにお菓子や飲み物…

ワークショップを運営する時に、よく用意するものですよね。

 

私は正直、備品やグッズを取り揃えるタイプです。

もちろん、備品やグッズを取り揃えることが目的ではなく、ワークショップの目的を果たすために必要だと感じるからこそ、きちんと用意をします。

ただ、時々取り揃えすぎちゃったなぁとか、取り揃えたことで満足…またある意味場づくりの保険として用意してしまっていると感じるワークショップを体験することがあります。

 

最近感じることは、ワークショップという場が増えたことにより、間違いなく場の平均値は上がっているなぁと思います。変な言い方をすると、ハズレがない(笑)

もちろん、時々ハズレと感じる場もありますが、そういう場が本当に減ってきているなぁという印象を受けます。

 

一方で、ワークショップがひろがるにつれ、ワークショップがある意味金太郎飴のようにパッケージ化されてきている印象も受けます。

どんなワークショップに参加しても、ハズレもないからアタリもない…なんていうか物足りなさを感じています。

 

さて、おたくも綴っていましたが、いっそ備品やグッズを無くす…良いかもしれませんね。どうしても備品やグッズを取り揃えていると、無意識のうちにその場のあり方ではなくやり方に目線がいきがちになってしまいます。

やり方、つまり手法はパクリやすいですしね(笑)でも、本当に大事にしたいことはそのワークショップそのもののあり方ではないかなと思います。

なんというか現代社会を象徴しているというか、備品やグッズが溢れるにつれ、物事の本質が見えにくくなってしまっているのではないかなと。

ただ、はじめて場をつくる人や参加してくださる方々のことを考えると、備品やグッズをしっかりと取り揃えて、「安全・安心の場」の確保や「満足度」を上げたいという主催者としての気持ちはわかります。

でも、だからこそ物事の本質に目を向け、備品やグッズに頼らない場を設計してみるのも良いのではないでしょうか?

もちろん、ある程度チャレンジングなことです。ただ、そのような場をつくるのであれば、きちんと参加者にも事前に伝えるなどして、物事の本質を見極められるようなワークショップをデザインしても良いかもしれません。

これはある意味、自戒の意味も込めてです。

 

これだけ良い意味でワークショップが「ふつう」になってきているからこそ、原点回帰をして、ワークショップを問い直すことが必要かもしれませんね。