【おすぎのジレンマ⑪:ワークショップは評価できるのか?】
最近、“エビデンス”に基づく評価・教育なんてこと、よく耳にしませんか?
エビデンスとは、証拠・根拠、証言、形跡などを意味する英単語evidenceに由来する外来の日本語だそうです。
以下のサイトには、エビデンスに基づく教育についてよく述べられているので、ぜひご覧いただきたいなと思います。
「エビデンスに基づく教育」とは | その他・全般の学習指導案・授業案・教材 | EDUPEDIA(エデュペディア) 小学校 学習指導案・授業案・教材
さて、私は高校教員であるため、KKOで教員をしている先生によく出会います。
KKOって!?気になりますよね(笑)
そう、学校の先生あるある、まさにこの「先生の3要素」(学力の3要素にかけています(笑))をすべて持つ先生が極めて多い!これは決して悪口ではなく、事実としてきちんと受け止めておくべく述べておきたいと思います。
さて、そのKKOとは…
K→勘
K→経験
O→思い込み
まぁ、この3要素でお仕事されている方が多いんです(笑)
多くの先生は、この3要素をしっかり兼ね備えている。もう、素敵なくらい。
特にOについては、桁違いのパラメーター、某ドラ●エみたいなRPGならレベル99,今風にいうとチート的なパラメーターを有している方も少なくありません(笑)
さて、あえて学校でのKKOについてお話しましたが、実はワークショップにおいてもKKOで場をつくられたりする方って少なくないのかなぁと感じています。
もちろん、KKOの要素は時には大事なことでもあります。
しかし、果たしてこれらの要素だけでつくられた場がどうなるのか…そして本日のテーマにようやくたどりつきたいと思いますが、そういったKKOでつくられた場がきちんと評価できるのか?そのジレンマについて述べていきたいと思います。
私もワークショップを運営する側を何度も経験したことがあるからこそ、評価はとても気になります。ワークショップの最後にお願いするアンケートや振り返りシートなどはもちろん、ワークショップ後の懇親会で感想を伺ったり、その後のメールでのやりとりなどで正直な思いを聞いたりして、次につなげようとしています。
しかし、これらの評価っていわゆるエビデンスにもとづいたものになっているんでしょうかね?ワークショップのコンテンツ自体はもちろん、アンケートや振り返りシートの項目ひとつひとつから相当練り込まないと、きちんとした評価にはつながらないと思います。
また、教育現場以上にワークショップという場における評価は、運営側と参加者側で相当異なるものではないかと思います。
運営側の評価としては、集客や満足度、次回につながる気づきなどが評価項目としてあがるかと。
一方、参加者側の評価としては、満足度はもちろん、その後のつながりや学びの度合いなどまた運営側とは似ているようで似ていなかなと。
一日3万円のワークショップと、無料のワークショップ…3万円のワークショップのほうが価値がありそうですが、決してそんなこともないかと思います。
さて、ここまで述べてきてひとつまとめておきたいことは、ワークショップにおける評価はもちろん、教育現場、またそれ以外の場においても評価というものに完全なる客観的評価は非常に難しいということです。
正直、評価って主観的だし、ワガコトだなぁと。
ただ、だからこそ運営側も参加者側もきちんと“ねらい(目的)”を明確にして、それを運営側と参加者側で共有する、そのうえできちんと、またなるべく客観的評価もしつつ、お互いが次につなげることが大切なのではないかと思います。
もちろん、なるべくエビデンスはしっかりとして、ワークショップをつくることは大切です。ただ、時にはKKOでつくっても良いんです。
きっと、それが許されるのがワークショップという場なのではないかなと。
なんでもかんでも評価…そんなことにしばられずにある意味自由にわがままに、そんな場も良いと思います。そして、それに参加するかどうか決めるのは参加者の自由なんですから。
ただ、私自身がひとつだけ心がけているのは、運営側にとっても参加者側にとっても
“すてきな場”なのかどうか?
それが、おすぎのワークショップにおける唯一無二の評価基準です。