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ワークショップへのジレンマ

おたくとおすぎが杉並区にある私立高校で実践して得た知識・知恵を書いています。

【おすぎのジレンマ㉔】大人の思惑だらけの連携(笑)

「連携」

互いに連絡をとり協力して物事を行うこと。

連絡を密に取り合って、一つの目的のために一緒に物事をすること。

 

この言葉には、このような意味があります。

学校においても地域連携、外部連携、内部での連携、教科間での連携などなど、連携という言葉がよく使われます。

個人的に、おすぎは「連携」することが大好きです!!

 

だって、間違いなくひとりでやるよりも、誰かと協力をして一緒にやることのほうが学ぶも多いし、結果にもつながるし…正直得るものは大きいなぁとこれまでの経験から実感しています。

ただ、問題はその目的と手段なんですよね。

 

まず、高校教員という立場にいるおすぎの視点から言わせてもらうと、やたら学校と連携したがる方々が多いなぁと感じています。

きっと学校という場が良くも悪くも閉鎖的で外と連携しているようでしてこなかったこともその理由のひとつかもしれませんが、それでも…多い(笑)

まぁ、ちょっとSNSで「連携しませんか?」的なたとえば一緒に授業をつくったり、授業をしていただいたり、講演を依頼するものを投稿したら、すぐに個別の連絡を何人もの方からいただきます。

もちろん、おすぎがそのようなネットワークを構築しているこということもあるかもしれませんが、それにしても多い(笑)

また、「ぜひ連携しましょう!」というお誘いが多いのも事実ですね。

 

ただ、そんな時おすぎはものすごく慎重になります。なぜって?

だって、これまで多くの素敵な連携とそうではない連携を見てきたからなんです。

その中で、やはり素敵な連携というのは、目的がきちんと連携する者同士で共有ができていて、同じ方向に向いている場合です。たとえば、そういう方々と授業を一緒につくった時なんかは、目の前の生徒にとってもそして連携し合った者同士も、とてもハッピーになれた記憶があります。

では、そうでなかった場合はどうなのか…むしろそうではない場合のほとんどが大人の思惑だらけの時なんです。

「学校という場で実績をつくりたい」

「教育現場とつながりをつくりたい」

「自分の研究のために実践をしてみたい」

など…まぁ、自分のことしか考えていない(笑)そして、そういう方々に限って、連携がうまくいかないと、教員のせいや生徒のせいにする…もうウンザリです。

 

そのようなわけで、連携をする場合、まず連携相手をきちんと見極めることが大事になってきます。それは、もちろんこちら学校側や教員側も見極められているという自覚を持ちながらですが。

 

そして、きちんとお互いが理解をしあって、目的を共有できれば、あとはそれに基づいた手段を実行していくこととなります。

ただ、ここでも気をつけたいことがあります。それはたとえ目的が共有された相手でも、立場が違えば良かれと思って考えた手段が全く異なることがしばしばあります。実は、学校と外部との連携などでは、よく起こる事象なんです。

そこで、目的が共有されてからは丁寧に手段を構築していくことが必要となります。

そのような過程を経てようやく本来の「連携」がスタートするんだと思います。

 

おそらくこれからの多様化した社会において、「連携」ということはよりニーズが増してくるスタイルだと思います。

そして、だからこそ大人の思惑も増し、「連携」という名のもと犠牲者になる立場の人も出てきてしまうのではないかなぁとおすぎは危惧しています。

 

だからこそ、原点に立ち返り…

 

「何のための“連携”なのか?」

 

を自分自身に問い、連携相手に問い、そのうえで連携を作り出していくことが必要不可欠なのではないでしょうか。

そして、そう考えてみるときっと連携はそう容易いものではないということが見えてきます。もちろん、これらはワークショップという場でも同じことが言えます。

 

さて、みなさんはどのように連携をしてゆきますか?

あなたの思惑で連携しますか?

目の前の人のために連携しますか?

それとも…!?