【おすぎのジレンマ⑦自己紹介って“絶対”にやらなくてはいけないですか?】

自己紹介、人生を歩めば歩むほど、どこでもどんな時でもやりますよね。

私は小・中・高時代の自己紹介が本当に大嫌いでした。

はじめてのクラス、はじめての授業、先生は「自己紹介をやりましょう」といって、そのままの机と椅子の配置のまま、列ごとに先生のほうを向いて名前と一言…

一体、誰に向かって自己紹介しているんだ!って、今ならその先生たちを糾弾したくなる気持ちでいっぱいです(笑)

 

さすがに大学に入り、顔を見合わせた状況での自己紹介が増えると、まだマシになってきましたが、それでもどうも自己紹介がいまだに好きにはなれないおすぎです。

また、ワークショップでは呼ばれたい名前でいることも多いですが、なぜか本名を言わないと変な空気になることも。私はよく呼ばれたい名前を「山田」(特に意味はないですが)にすることが多いですが、知っている人がいると、「なぜ山田なんですが、おすぎさん?」と言われる始末…おい!それでは呼ばれたい名前を使っている意味が無いじゃないかと突っ込みたくなる気持ちで一杯になります。

 

さて、そんな自己紹介って、ワークショップの場はもちろん、はじめての場などで“絶対”にやらなくてはいけないものなのか?改めて考えてみたいと思います。

 

私はただやらされるだけ、気づきも学びもない自己紹介であれば、やる必要がないと思っています。しかも、極度の緊張状況で自己紹介したところで、自分のことが伝わることもないし、それこそ他の方の自己紹介が頭に入ってこない(笑)

ただ、自己紹介ってやりたがりますよね。もちろん、最低限の安全・安心の場の確保という意味では、一緒に場をつくるメンバーのことを少しでも知る必要があると思います。ただ、それはそのメンバー自身が必要と思えば、相手を知り、自分を知ってもらえば良いのかなと。

特にワークショップにおいては、自発的に参加している方々が多いはずですから、むしろ自発的な自己紹介を促す空気さえあれば十分!

確かに学校現場では、自己紹介に対して自発的ではない生徒も少なくはないので、「自己紹介」というプログラムを設定する必要があるとは思いますが、逆に設定するのであれば机と椅子がそのままで誰に向かって自己紹介しているのかよくわからない無意味どころかマイナスにも働く自己紹介の場は即刻無くしてほしいと考えます。

普通に机を取り払って円にして、みんなの顔が見える形での自己紹介や4~6人程度のグループをつくり、そちらでの自己紹介など、少しでも工夫すれば意味のある自己紹介になります。

 

でも、ここまでつれづれなるままに書き連ねてきて、おすぎが感じることは、

「自己紹介が自然発生的に起きる雰囲気」

これが、日本社会には足りていないのかなぁと思います。

ワークショップが始まったら、オンのスイッチが入り頑張りますが、ワークショップがはじまる10分前の変な空気間…これって学校や職場でもふつうにありますよね。

なんか、声かけにくい雰囲気、そして声をかけさせない姿勢。

日本人って、私も含めて良くも悪くもシャイなんですよね。だからこそ、これからの日本の未来を見据えて、

「自己紹介が自然発生的に起きる雰囲気」

を文化として醸成させていけたらなぁと考えています。

そしたら、きっと自己紹介で嫌な思いをする人はいなくなるでしょうし、必要と思えば自己紹介をするし、そうでなければしない、自由な自己紹介が当たり前になってくると思います。

自己紹介…あなたはどんな自己を紹介しますか?